「愛している(主にインコに対して)」が口癖な件について。。
子どもの頃は、「好き」とか「愛してる」とかいう言葉に、嘘くささを感じていた。
自分の中に、そのような概念がなかったからなのだと思う。
今はもはや、あいさつ代わりに使っている。
いつかのお別れの時に後悔しないように、この一瞬の大切さを表現したいがために。
半分くらい「本当に愛しているのか」を自認し戒めるためにいう時もある。
言える相手がいるだけで幸せになれる。いや、幸せである事に気付けるのだと思う。
太陽のまぶしさに感激して泣いた時から、「愛している」の意味がわかったと思っている。
なので、強い人には、または子どものようにまぶしく輝いている人には、
私が見つけた「愛している」の感覚は、理解できないものなのかもしれないと思った。
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