クワの新芽がブワッと出たよ。
待ってたのだなと思った。
筋トレすると、一時的に筋肉が壊れるけど、以前より強い筋肉に生まれ変わる。
怪我をすると、一時的に皮膚が壊れるけど、以前より強い皮膚に生まれ変わる。
やや多くの人は、それで強い筋肉が手に入るとしても、新しい変化を恐れる。
よりよい習慣や未来に繋がっていたとしても、恒常性で元に戻したいと感じる。
誤解されないように前文を入れると、
基本的には、完全にメリットがない。
私は命を落とす仲間に対して、常々祈るような気持を馳せている。
同時に、都市生活の生理現象としてイジメる側になってしまった人にも、
祈るような気持で同情している。
怪我の功名みたいな話。
メンタルが凄いタフになっているらしい。
普通に凹むし落ち込むので、自分では気づかなかったのだけど、
弱みを見られるとか、裏切られるとか、コンプレックスをほじくられるとか、
そういうのが普通の事だと思っているので、いちいち騒がないし、
いちいち怒りがわかないし、恐れてごまをすったりもしない。
それが異常だと、時には羨ましいと、そして優しくないといわれる。
人の弱みを見てしまった時は、もう少し申し訳なさそうにしろといわれる。
「弱みって強みとセットな自分らしさでしょ? 弱みだとしても私は気にならない」
という態度に出てしまって激怒される。偉そうだと。寄り添ってないと。
そういう話じゃない事はわかってきたけど、多分一生共感できない。
なので、それ系の話題に突っ込んでしまったら、ギャグに持ってって終わらす事を覚えた。
自称普通の人は、自称普通の人と、かなり強い結びつきがあるらしい。
それは安心要素にもなるが、時に足を引っ張る足かせになる。
安心はできなくなったが、足を引っ張られなくなった事は、幸せだったと思う。
いつまでたっても私に「当然の普通」を強要し続ける人がいる事に、私は凹む。
できないものはできない。
魚は鳥じゃないから飛べない。
泳げる良さを噛みしめたい。
飛べる事と同じくらい、泳げる良さを知らしめたい。
魚なのに、泳げるのに、私はまだ、できそこないの鳥扱いをされている。
いつまでも、いつまでも。どれだけ足掻いても、きっと永遠に。
そういった話で落ち込む。
なので、鳥の世界の常識とか、魚にはマジでどうでも良い。
うん、そうだね、だからイジメられていたのかもしれない。(笑)
普通の事をしろって言ってくれる人こそ、親身になってくれる人なのかもしれない。