凄いと思うんだ。
何が凄いって、鉄という物質は太陽系が生まれる前に、
そのへんにあり、そして消滅した太陽みたいな星の残骸だって事が。
そして、そんなものが私の血液になっているっていう事が。
凄いと思うんだ。
何が凄いって、鉄という物質は太陽系が生まれる前に、
そのへんにあり、そして消滅した太陽みたいな星の残骸だって事が。
そして、そんなものが私の血液になっているっていう事が。
そもそもな話、私は、成功するには全ての失敗を経験する必要があると思っている。
「なんかうまくいったなー」は、全然成功な気がしなくて満足できない。
「おお、一発で成功したぞ」は、「ついてなかったな、もう一回やろう」なる。
失敗して困っている人を参考にして「何をしたら失敗できるの?」って真似をする。
ある程度の知見が集まったら「どれだけ手を抜いたら失敗するか」を試す。
そういう経験によって、自分のアクセルとブレーキを調節してこれたと思っている。
これ、時間がかかるとか無駄が多いとかで、周りを非常にイライラさせる。
自分では何一つ無駄になっていないと思うけど、不成功を見るだけでも嫌な人がいるのね。
うちの母親が特に私の失敗を嫌った。
母親自身、自分の料理などの失敗を笑って語ったりするのだが、
私が失敗をすると目くじらをたてて怒り出す。
どうやら、私が失敗すると、自分の子育てが失敗したみたいに感じるらしい。
「子育て失敗したなら一人で落ち込んでろよ。今の私は自育て中だから」って思うけど、
八つ当たり先が必要だったんだろうね。
私は自分という名の車を運転したいのに、母親は母親の車の助手席に乗せようとするんだ。
そんなんじゃ上手くいかなかった時、母親の運転のせいにする人になるよ私。
母親の責任を大きく認識する母親は、良い人かもしれないけど、
なんでもかんでも責任は母親にあるとして、母親のせいにする大人にはなりたくなかった。
そうこどもに思わせるのって、悪い母親なんじゃないですかね。
親がそれを望んでも、ご先祖様は末裔が親の言いなりになる事を望まないはずだとして、
親の言う事はガン無視して生きてきた。
そしたら母親は、私が子ども頃に言ってた事を自分が先にいったと言い張るようになった。
母離れを手伝ってあげる事も大事。
ひともんちゃくあっても、めでたしがまっているはず。
大きい事を考えると、小さい事がどうでもよくなる。
でも反対に、小さい事を考えていると、大きい事がどうでもよくなる。
結局はどっちも大事で、なおかつ、どっちもどうでもいいって事。
これを利用すると、日常生活の小さな事を綺麗に無駄なく解決できる。
大きい事を考えると、冷静になれる。
許せる所や妥協できる所がすぐに見つかる。
大きい視点から見ていくと、一番の問題点が簡単に見つかるんだ。
それにそって解決策を練っていくと、許さなくても妥協しなくても良い解決ができる。
例えば、ダイエット。
「食べたいから太る、太るけど食べたい」のサイクルから抜け出せない、とする。
食べるか太るかの二択で苦しむわけだよね。どちらの方が高利益かの話になる。
これは、本人にとって大変な問題でも、宇宙にとっては些細な事、だよね?
そう思うと、どうでもいじゃんって気分になる。
ただし、そこで終わりにしないで、視野を小さくしていくと、
飢えてても、全然食べたそうではない事がまずわかる。つい食べてしまうだけなんだよね。
そして常人以上に食後の幸福感に浸る。しかも太る罪悪感なり劣等感なりを上回っている。
「快が欲しくて食べる、食べるから太る、太るから不快がたまる、不快だから快が欲しい」
のサイクルだった事がわかるわけだ。(そうじゃない人もいるけど、あくまでたとえで!)
薬物中毒者の解毒は苦しそうだと誰もが共感する所だろうけど、強食も同じだったわけで、
負のサイクルから抜け出せないのは本人の弱さのせいではなく、
その負のサイクルは思っているよりも強靭だったという事だ。
こう考えると、すっごい優しくなれそうじゃない?
そして快に溺れない事を一番の利益として行動するなら、この負のサイクルは断ち切れる。
バンバンザイじゃない?
たとえはひとつのたとえなので、自分は違うよって方も多いと思うけど、気にしないでね。