日々思う事を書くだけ

たわいのない事を徒然書き出していこうと思います。

「愛している(主にインコに対して)」が口癖な件について。。

子どもの頃は、「好き」とか「愛してる」とかいう言葉に、嘘くささを感じていた。
自分の中に、そのような概念がなかったからなのだと思う。


今はもはや、あいさつ代わりに使っている。
いつかのお別れの時に後悔しないように、この一瞬の大切さを表現したいがために。
半分くらい「本当に愛しているのか」を自認し戒めるためにいう時もある。
言える相手がいるだけで幸せになれる。いや、幸せである事に気付けるのだと思う。


太陽のまぶしさに感激して泣いた時から、「愛している」の意味がわかったと思っている。
なので、強い人には、または子どものようにまぶしく輝いている人には、
私が見つけた「愛している」の感覚は、理解できないものなのかもしれないと思った。

「自然観察が趣味」という旨が伝わらない件について。

趣味の話題で、「趣味は自然観察です」とこたえると、誤解を招くものだと知った。


「あ、アウトドアがお好きなんですね(テントやキャンプ場の話へ移行)」とか、
「まあ、エコな意識高い系の方ですか(ここで会話は終了)」とか、
「それも悪くない暇つぶしですね(意外とこれが一番当たってる)。で、趣味は?」とか、
そんなふうに解釈される。


私が「自然観察が趣味」で伝えたかったニュアンスは、
買ってきたトマトが一つ腐っていたら、腐りきるまで確認してみるとか、
光や風の向きを感じたり、道端のいわゆる雑草の成長を追ったりするような事なのだ。


趣味人の例にもれず、
少なからず「すっげー感動するから一緒にどうよ」みたいな気持ちも含んでいる。
「V系ライブ巡りが趣味なの。ライブ盛り上がるよ今度一緒に行こうよ♪」みたいなノリね。
意を決して趣味を自白したのに、良さが伝わってないっていうオチなのが、面白悲しい。




そして、なんだか相手を嘘で騙しているような気がして、モヤモヤしていた。
インドア派だし、モブだし、とはいえそこまで生産性に無頓着というわけでもない。
自分の発する言葉は、実際とだいぶ違う印象を与えてしまっているんだろう。




原因を考えた。
「自然観察」という概念が、ステレオタイプに含まれていないからなのだろうと思った。
なので「市街地でのバードウォッチングが趣味です」と伝えるようになった。
それからは、印象がズレなくなったと思う。


そしてありがたい事に「バードウォッチングって何が楽しいの?」と、
興味を持ってくれる人にも出会えるようになった。
でも私はモブなのでウィークポイントがわからず、いまだ良い返事ができていない。
楽しい要素しかないと思っている時、楽しい点を説明するのは難しいのだ。


今度、他者にバードウォッチングの良さをきかれる事があったら、
「鳥に逢えると、ガチャでSSR(スーパースペシャルレア)が出た時のような気分になる」
と、伝えようと思っている。これで伝わるはず。知らんけど。
そして、これが伝わるなら、自然観察の楽しみも伝わるはず。と思っている。

家のインコが世界で一番かわいいと思う自分について。

絶対に間違っていないと根拠なく確信しているから、自分が恐ろしい。
こういう盲目な妄信は本当に良くないと思う。
それとは別に、家のセキセイインコは可愛い。
かわいいいいい~~~~~~。


で、よそ様のインコはよそ様にとって世界一なのだろう。それについて異論はない。
そんなよそ様目線でよそ様のインコをかわいがる動画とか最高に好き。共感できる。
別に浮気じゃないしっ! ちょっとしたロールプレイだしっ!
ああ、みんな、かわいいいいい~~~~~~。