日々思う事を書くだけ

たわいのない事を徒然書き出していこうと思います。

なぜ自分軸がブレるのか?

自分にとって0(ゼロ)な事が、自分にとってのニュートラルだとする。
この時、0(ゼロ)で安定し、+10か-10くらいまでが、心地よいと感じるとする。


この状態で、周りに+100とか-100をまき散らす人がいると、不安定になる。
100をまき散らすといっても、その人にとっては、0(ゼロ)をしているだけなのだけど。


ともかく不安定になると、どうにかしなくてはならなくなる。
既に自分軸に自信が持てなくなっているので、この状態から自分軸を鍛えるのは無理だ。
自信を取り戻す為の聖域を用意しておけば復活できるけど、そうでないなら以下をする。



はじめは、相手を潰す。
100を貶したり邪魔したりして、総エネルギー量を減らそうとする。
ゼロ地点にある事すら認めず、本当の無にしようというわけだ。
この時点では、「なんだか自分って嫌な奴だったんだな」と思う程度である。


これでダメだったなら、次は、反発する。
例えば、相手がプラス側の100だったとしたら、自分はマイナス側の100に変化する。
つまり、自分の0(ゼロ)を捨てて、バランスをとる事で、何かの均衡を保とうとする。
これマジヤバい。極端な事をするこの人自身が感染源となる。要するに反発製造機になる。
さらっとナチュラルにバランスを崩すのではなく、あえてバランスを崩すからタチが悪い。
(特に若い時はついこれやっちゃうよね。あとで黒歴史となるわけだけど!)
この時点では、完全に自分らしさがなくなっている。


更に悪化すると、最後は、相手の傘下に入る。
相手との差が数桁違いになると、「自分には反発できない」と悟り、諦めて加担するのだ。
差がありすぎると感じる場合は、潰しや反発が起こらないまま傘下に入る事もある。
加担した先がニュートラルになる気がするが、これが自分らしさでない事は理解している。
長期間加担していると、本来のニュートラルが消滅し、自分軸と自分らしさが崩壊する。


多くの場合、傘下に入っていては幸福感が少ないと感じて、自分軸が消滅した事に気付く。
そして、傘下に入るという事に反発して、反発できる自由に幸福感を得る。
それを新しい自分らしさとする事で、自分軸で生きている錯覚に満足する事ができる。
但し、凄く邪魔者扱いされるので、平穏は手放す事になる。
まあそうだよね。敵に回る事を生き甲斐とされるなんて、「なんで?」って感じだよね。
自分でさえ「なんで?」って思っても、幸福感ってやすやすと手放せないから困る。



まとめると、
自分と大きく差がある人の事は、見ない方が良いという事。
見えちゃったとしても、相手を潰したり、自分を潰したりしない事。
それを始めると、最後までずっと戦争状態になるから。
結局戦うしかないのだから、相手も潰さず自分も潰れない、防御に徹した戦い方が合理的。


そして可能なら、違う事を楽しむ事。(それができなくて困るわけだけど!)
大きく差があると感じても楽しめるなら、相手と良い貿易と良い文化交流ができる。
(ちなみに、反発中の人はもう文化じゃないから、交易も不可。絶対に無視する事!)
と、他人を羨ましく思った朝に気付いた。